吃音履歴書②

― 改善を強く意識していた時期の記録 ―

吃音に悩み続けていた私は、23歳の頃、少しでも状況が変わる可能性があるならと思い、ある催眠療法を訪れました。
決して安くはない金額でしたが、このままでいいはずがないと思える状態だったため、藁にもすがるような気持ちだったのだと思います。

結果として、はっきりとした変化を実感できたとは言えませんでした。
今にして思えば、吃音のように複雑な要因が絡む問題が、催眠療法によって変わるかもしれないと考えていたこと自体、当時の自分なりに必死だった表れだったのかもしれません。


強い影響を受けた指導者との出会い

その後、私は一人の指導者と出会いました。
元吃音者として活動されていた方で、吃音を「克服する」という考え方に、非常に強い情熱を持っている人でした。

その方は、自身の経験や考え方を発信しており、吃音への向き合い方や発声の工夫など、多くの示唆を与えてくれました。
私もその影響を受け、教わった発声練習を取り入れるようになり、これは今でも続けています。

人柄も温かく、真剣に吃音と向き合ってきた姿勢には、今でも敬意を感じています。
私の中には、当時に触れたその考え方や姿勢が、確かに残っています。


状態は変わったが、残ったもの

発声練習などの試行錯誤の結果なのか、あるいは年齢による変化なのかは分かりませんが、
年を重ねるにつれて、若い頃のように吃音で日常全体が振り回される感覚は、少しずつ減っていきました。
多くの場面では、大きな支障を感じずに話せるようになったと思います。

ただし、電話での応対や、会社名・自分の名前を言う場面など、特定の状況では、今でも吃音が出ます。
避けて通れない場面だけに、現在でもストレスを感じることは正直あります。

周囲からは「軽度ではないか」と言われることもありますが、
自分の中では「とてもそうとは思えない」という感覚が、ずっと残っていました。


他の取り組みと、当時の自分

40代に入ってからも、いくつかの教材や支援の場に触れる機会がありました。
どれも真剣に考えられた内容だと感じましたし、合う人にとっては役立つものだと思います。

一方で、項目の多さや継続に必要なエネルギーを前にして、
当時の自分の生活や体力では、最後まで向き合い切れないと感じたのも事実です。

方法そのものの良し悪しというより、
その時の自分の余力や優先順位との相性の問題だったのだと思います。


当事者同士のつながり

吃音当事者が集まる場にも、何度か参加しました。
同じ悩みを抱えながら、それぞれがどのように考え、受け止めているのか。
そうしたことに触れられたのは、貴重な経験でした。
同じ悩みを共有するということがどれほど救われるか、ということも
強く実感しました。
この体験は、今も自分を支えてくれています。


この時点では、まだ答えは出ていなかった

この頃の私は、若い頃と比べれば、以前より確かに楽になっていました。
しかし、「克服した」と言える状態ではありませんでした。

努力を重ねても残る部分がある。
その現実を前にして、
「まだ足りないのではないか」
「もっとできることがあるのではないか」
そんな思いが、心のどこかにあり続けていました。

この時点では、
自分がどんな距離感で吃音と付き合っていくのか、
まだはっきりとは見えていなかったのだと思います。


※本記事は筆者自身の体験をもとにした記録です。
医療的な助言を目的としたものではありません。
改善や支援を検討される際は、専門機関や医師への相談をおすすめします。

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