吃音のことをゆるく観察してみる

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最近は「もう深く追及するのはやめよう」と言っていた私ですが、吃音そのものへの興味がなくなったわけではありません。
むしろ、ふとした瞬間に考えることも多くて、「あ、これも書いておきたいな」と思うことがいくつもあります。

そんなわけでこれからは、
・ちょっとした考察
・過去の振り返り
・日々ふと思ったこと
など、ゆるい感じでいろいろ記していきたいと思います。

さて、今回のテーマは──


「吃音者の“普段の話し方”は、どんな神経回路を使っているのか?」

吃音がある人の話し方は、多くの場合、
「いつ吃音が出てもおかしくない話し方」
になっていると言われます。

これは感覚的な話ではなく、生理学的にも説明できます。

発話は、呼吸・声帯・口唇・舌など多くの筋肉を、
脳の運動野からの電気信号(神経インパルス) によってミリ秒単位で動かす“運動”です。
脳内では、話し始めの直前に、

  • 発声のタイミング
  • 口の形
  • 呼吸の強さ
    などを決める“準備信号”が一気に流れます。

吃音の場合、この“話し始めの神経回路”がうまく同期しづらいと言われています。
簡単に言うと、

・話し始め(第一声)は回路が不安定
・話し途中は別の神経回路が働くので比較的安定

という、二重構造のような状態になりやすい。

だからこそ、吃音者にとって
「話し始め」と「話している途中」は、まるで別の運動のように感じられる
わけです。

私はこの“違う運動感”をなくすため、
長年発声練習を続けて、新しい“話し方の神経回路”を作ろうとしてきました。

では実際に、その新しい回路はできているのか──
ここからは、今の自分自身の感覚を観察してみた記録です。


発声練習を減らしても、悪化はしなかった

以前は毎日きっちり時間を決めて発声練習をしていましたが、
今はその半分ほどしか行っていません。
それでも、状態が悪化したという実感は今のところありません。

これは「練習量と状態は比例しない」ということではなく、
長年積み上げてきた練習が“土台”として残っているから今の状態が保てているのではないか
と感じています。

そして、発声練習の時間自体は減ったとしても、
話すときに“これまでとは違う回路で話そう”とする意識は常に働いています。
これは長年の練習でクセのように身についたもので、
日々の会話の中でも自然と使われています。

話していて言葉がどんどん前のめりに出てくるようなとき、
「スピードを自分の支配下に戻す」 という感覚が働くようになったのは、
この“土台+意識づけ”のおかげかもしれません。

これは、過去にはなかった感覚です。


「話している途中」は軌道修正できるのに、「話し始め」はまったく別

会話の途中なら、
「あ、少し速いな、スピードが独り歩きしだしたな」と思ったとき、呼吸を整えたり、
テンポを自分の支配下に戻すことができます。

ところが──
電話の第一声 だけはまったく別。

ここだけは、長年向き合ってきても改善が見られず、
まるで今も昔も変わっていないように感じます。
(これに手こずりすぎて、もうこれ以上は時間を費やせない、となったのですが…)

ある意味でこれは、
“話し始めの神経回路”が独立して働いている証拠
なのかもしれません。

途中の“走行中の制御”は効くのに、
“スタートの瞬間”だけは、脳内の違うスイッチを押している感じ。
吃音に長年向き合っても、ここは依然として不思議な領域です。


絵本の読み聞かせで気づいたこと

子どもに絵本を読むとき、私はほとんど詰まりません。
ただ、少し力む瞬間はあります。

そんなときでも、
「スピードが自分の支配下から外れかけている」
という感覚が働き、
自然に軌道修正ができるようになりました。

これは、発話運動が
“自動で走っている状態” → “自分でコントロールしている状態”
に切り替わる感覚に近いです。

「うまく読まなきゃ」と力むと逆にぎこちなくなる一方で、
「ゆっくり味わって読む」ほうが滑らかになる。
そんな感覚的な違いも、昔よりずっと分かるようになりました。


感情との距離が変わると、吃音との関係も変わる

うまく話せなかった日は落ち込み、
逆に苦手な場面でうまく話せると舞い上がる──
以前はこの振れ幅がとても大きいタイプでした。

でも今は、そのどちらにも少し距離を置いています。

脳科学の分野では、強い感情を伴った出来事ほど記憶に残りやすいことが知られています。
これは、脳の扁桃体が「これは重要な出来事だ」と判断し、海馬(記憶形成の中枢)にシグナルを送ることで、記憶の定着が強化される仕組みです。

つまり、
「失敗して落ち込んだ経験」も「うまくできて嬉しかった経験」も、どちらも記憶に残りやすい。

こう考えると、
うまくいったときは素直に喜べばいいし、失敗したときは必要以上に落ち込む必要もない
という、ごくシンプルな結論に行きつきます。

実際、感情の揺れを少し離れた場所から眺めるようにしてみると、
吃音そのものとの向き合い方が以前よりずっと穏やかになりました。


まとめ:新しい回路は“少しずつ”できているのかもしれない

発声練習を続けた年月の中で、
「話している途中のコントロールが効くようになった」
という変化を感じています。

これはおそらく、
脳の発話回路が、わずかでも“新しいパターン”に書き換わった結果
なのかもしれません。

ただし、
話し始めだけは別の難しさが残っている。
これは今後も観察していくしかない、長期戦のテーマです。

吃音を“どうにかしようと必死に追い続ける”ことは、もうしません。
でも、吃音という現象を観察したり、考察したりすることは、これからも続けていきたい。

少しでも、同じように吃音と付き合ってきた誰かの視点のヒントになれば嬉しいです。


※本記事は筆者の個人的な体験に基づいています。
治療法の推奨を目的としたものではありません。吃音でお困りの場合は専門機関への相談もご検討ください。

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