(吃音と「非介入」という考え方)
私はこれまで、10年以上にわたって発声練習を続けてきました。
いわゆる「流暢性形成法」と呼ばれるものをベースにした練習です。
ゆっくり話す。
呼吸を整える。
発声を意識する。
吃らない話し方を身につける。
長い年月をかけて、かなり真剣に取り組んできました。
その結果、若い頃と比べれば、私の吃音はかなり改善しました。
日常生活のほとんどの場面では、吃ることはほとんどありません。
ただ──
最後まで残った部分がありました。
それは、仕事の電話など、
ごく限られた特定の場面だけに残る吃音でした。
かなり改善したのに、なぜここだけ残るのか
若い頃の私は、もっと広い場面で吃っていました。
外食の注文、自己紹介、雑談、電話……。
それが今では、
かなり限定された場面でしか吃音は出ません。
ここだけ見れば、
発声練習や流暢性形成法が役立った可能性はあると思います。
ただ正直に言うと、
「練習の効果だったのかどうか」は分かりません。
年齢による変化なのか。
経験の積み重ねなのか。
単なる慣れなのか。
はっきりとは言えません。
ただ一つ確かなのは、
かなり改善したのに、
最後まで残る部分がある
という事実でした。
それが私にとっては、
むしろ大きな疑問になっていきました。
なぜここだけ残るのか?と考え続けた
私の場合、吃るのはほぼ「最初の名乗り」だけです。
会話が始まってしまえば、まず吃りません。
つまり、
- 技術が足りないわけでもない
- 発声ができないわけでもない
- 会話能力が低いわけでもない
それなのに、
特定の瞬間だけ止まる。
これはいったい何なのだろう。
長い間そう考えていました。
そしてある時、
直そうとし続ける構造そのものが、
問題を維持しているのではないか
という考えに出会いました。
「非介入」という考え方を知る
心理療法の世界には、
少し意外な考え方があります。
それは、
症状を直そうとし続けること自体が
症状を維持することがある
というものです。
認知行動療法(CBT)や
曝露療法、ACTなどでは、
- 不安
- 緊張
- 身体症状
- チック
- 吃音
などに対して、
過剰なコントロールや観察が
かえって症状を強化する
という考え方があります。
そしてその対処として出てくるのが、
非介入(non-intervention)
=必要以上に扱わない
という発想です。
「直す」から「扱わない」へ
それまでの私は、
- 発声を整える
- 吃りそうな感覚を観察する
- 修正する
- 反省する
ということを、
無意識にずっと続けていました。
改善を目指していたのだから、
当然と言えば当然です。
でも、非介入という考え方を知ってから、
試しにこうしてみました。
吃音を、もうこれ以上どうこうしない
発声練習をやめました。
分析をやめました。
反省もやめました。
吃ったとしても、
ただ次の仕事に戻る。
それだけにしてみました。
吃音が劇的に消えたわけではない
ここは正直に書きます。
非介入を始めたからといって、
吃音が劇的に消えたわけではありません。
電話の最初で詰まることは、
今でもあります。
相手が戸惑うこともあります。
気まずい空気になることもあります。
そこは現実です。
ただ、変わったことがあります。
「吃音のことを考える時間」が消えた
発声練習をしていた頃、
私は毎日かなりの時間を吃音に使っていました。
- 練習
- 反省
- 分析
- 改善策
- 検証
そして何より、
常に頭のどこかで吃音のことを考えていました。
それが今は、ほとんどありません。
吃ったとしても、
ああ、今ちょっと詰まったな
まあいいや
で終わりです。
そして次の仕事に戻る。
ただそれだけです。
時間が戻り、少し解放された
発声練習に使っていた時間。
吃音のことを考えていた時間。
それが丸ごと空きました。
その時間を、
- 仕事
- 家族
- 趣味
- 体調管理
など、別のことに使えるようになりました。
そして何より、
吃音のことを考えなくていい
という感覚があります。
これは想像以上に大きい変化でした。
すべての人に合うとは思いません
ここは大事なところです。
非介入という考え方は、
すべての吃音者に合うとは思っていません。
- これから改善に取り組む人
- まだ試していない方法がある人
- 練習で変化を感じている人
そういう方には、
従来の方法が合う場合も多いと思います。
ただ、
長い間取り組んできた
かなり改善した
それでも一部だけ残る
そして少し疲れている
もしそういう状態なら、
「もう扱わない」という方向を
試してみる価値はあるかもしれません
とは思います。
吃音が消えたわけではない
でも人生の中心ではなくなった
今も私は、
完全に流暢というわけではありません。
ただ、
吃音をどうにかする人生
からは、かなり距離ができました。
吃音はある。
でもそれだけ。
以前のように、
生活の中心にあるわけではありません。
同じタイプの方へ
ここまで書いた内容は、
あくまで私個人の体験です。
ただ、
長い間いろいろ試してきた人
かなり改善したけれど一部残っている人
そして少し疲れている人
もしそういう方がいれば、
何か参考になる部分があるかもしれません。
「直す」だけが道ではない、
ということだけでも
伝わればいいなと思っています。

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