吃音に悩み続けた私は、23歳の頃、藁にもすがる思いで西日暮里にあった催眠療法のもとを訪れました。決して安くはない金額を投じましたが、残念ながら明確な効果は得られませんでした。
今にして思えば、吃音のように複雑な問題が、催眠術のような手法で簡単に解決できるはずもなかったのです。
熱意ある指導者との出会い
同じ頃、私はある出会いを経験します。それが、元吃音者であり指導者としても知られていた山口徳朗さんとの出会いでした。
山口さんは、吃音を完全に克服された方でありながら、常に人間味にあふれた温かな方でした。そして何よりも、吃音を「克服する」という情熱に満ちあふれた方でした。
山口さんは、非常に示唆に富んだホームページも運営されていて(現在は閉鎖されています)、その内容からは吃音に対する深い洞察と、実践的な改善アプローチが伝わってきました。私もその影響を受け、山口さんから教わった発声練習を取り入れ、今もなお続けています。
後年、山口さんは講談の世界にも深く傾倒され、吃音に悩む方々への啓発活動として、世界吃音大会で英語による講談の披露などもなさっていました。ご自身の経験を芸の力に昇華させ、発信を続ける姿には、ただただ敬服するばかりでした。
私の中には今も、山口先生の吃音に対する考え方や姿勢がしっかりと息づいています。
克服とは何か?──今の自分の状態
山口先生の指導、そして年齢による変化もあってか、今の私は若い頃のように吃音で大きく悩まされることは少なくなりました。もちろん、「完全に治った」とは言えませんが、多くの場面では大きな支障を感じずに話すことができています。
ただし、電話応対で会社名や自分の名前を言うときなど、特定のシチュエーションでは、いまだにしつこく吃音が残り続けています。頻度としても避けて通れない場面なので、これは正直、今でも大きなストレス要因となっています。
客観的には「軽度」と見なされるレベルかもしれませんし、他の吃音当事者の方からもそのように言われることが多いです。それでも、自分の中では「まだ苦しい」と感じる場面が日常にあるのです。
他の試みとその経過
40歳の頃には、川村恭弘さんの教材も購入しました。内容そのものは真剣に作られたものと感じましたが、非常に多くの項目があり、実際にすべて取り組むにはかなりのエネルギーと継続力が必要であると感じました。私には合わなかったというより、「向き合う体力」が足りなかったのかもしれません。
また、数年前には東京吃音改善研究所にも数回通いました。臨床経験も豊富で、信頼できる方だと感じましたが、私自身がすでに山口先生の指導を土台として長年実践してきたこともあり、考え方の方向性が少し異なると感じ、継続には至りませんでした。
(もちろん、これは相手の方がプロであることに変わりはなく、私自身がある種「我流」で取り組んできたことによる相性の問題だと思っています。)
言友会との関わり
吃音当事者の交流の場である言友会にも、東京・横浜、そしてそこから派生した小規模な会にも何度も参加したことがあります。人とのつながりや情報交換ができる貴重な場であり、それぞれの方の悩みや工夫に触れることができたのは、私にとって大きな学びでした。
吃音との付き合い方、そして今の自分の立ち位置
吃音との向き合い方は人それぞれです。そして「改善」や「克服」という言葉には、人によって様々な温度差があります。
私自身は、これまで一貫して「あくまでも克服すること」を目指してきました。
正直に言えば、「吃音を受け入れる」という考え方には、今も強い抵抗感があります。私にとってそれは、どこかで「あきらめること」と結びついてしまい、どうしても納得できなかったのです。
とはいえ、どれだけ努力を重ねても、自分の場合はどうしても乗り越えられずに残り続ける部分がある——これもまた否定できない現実です。
その“最後の壁”に対しては、年齢や、限られた人生の時間の使い方を考えた末に、「これ以上は吃音改善だけに時間を費やすわけにはいかない」と、ある意味で腹をくくるようになりました。
完全な克服には至らなかったとしても、少しずつ状態が変わってきたのは確かで、これから先の人生では、残された吃音と無理に戦い続けるのではなく、静かに、冷静に付き合っていこうと思っています。
長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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