【体験談】私の吃音履歴書① 高校時代に言葉が出ないと気づいた瞬間

吃音

私は高校時代、自分の言葉がうまく出てこないことで初めて吃音に気づきました。 
この記事では、その時の体験や感じた思いを振り返りながらまとめています。 
同じように吃音で悩む方や、周囲で支えているご家族の方にとって、少しでも共感や参考になれば幸いです。

【吃音に気づいた15歳|自分の名前が言えない違和感】

私が初めて自分の吃音を意識したのは、およそ15歳の頃だった。ただ、もしかするとそれ以前から吃音はあったのかもしれない。ただ単にそれまで意識していなかっただけかもしれない。

最初に気づいたのは、自分の名前が妙に言いにくいということだった。その頃の私は、それを吃音のせいとは考えず、苗字が言いにくいだけだと思い込んでいた。

ある日、親に「なぁ、オレらの苗字って言いにくない?」と尋ねたことがある。しかし返ってきた言葉は「ん?そうかなぁ?」と、あまり関心のなさそうな反応だった。

その時は、「自分だけが気にしているだけなのかな?」という軽い違和感を覚えただけだった。

今振り返ると、この違和感こそが吃音のサインだったのだと思います。 
当時はただ「自分の名前が言いにくい」程度にしか考えていませんでしたが、その体験が後の気づきにつながりました。

【幼少期の自分と吃音への想像|小学校時代を振り返って】

吃音者のエピソードでよく聞く「小学校の国語の音読が辛かった」という経験は、私にはなかった。
けれども、この“吃音者あるある”ともいえる話を聞くたびに、あの幼い時期からすでに「言葉が出ない恐怖」と日々向き合っていたのだと思うと、自分の幼少期を重ねて想像してしまう。

吃音のつらさを身をもって知っているからこそ、そんな時期を乗り越えてきた方々には、大げさに聞こえるかもしれないが、心から敬意を抱かずにはいられない。

【高校時代のアルバイト|注文が恐怖だった思い出】

私が自分の吃音をはっきりと症状として感じるようになったのは、高校生になり飲食店でアルバイトを始めてからだった。当時は完全アナログの時代で、注文を伝票に手書きし、それを厨房に向かって声で伝えるという、吃音者にとってそれは恐ろしいシステムだった。注文を通すたびに「ちゃんと言えるかどうか」だけが頭の中を占めていた。

バイト仲間に何気なく「唐揚げ定食って言いにくない?」「ありがとうございました、の出だしって引っかからへん?」と聞いてみたこともある。しかし仲間たちの反応は曖昧で、私の感じている言葉の出にくさやもどかしさを理解できる人はいなかった。

こうして私は、自分の言葉がスムーズに出てこない苦しさを徐々に自覚していった。

高校時代の体験を通して、私は「言葉が出にくい」という現象が単なる癖ではなく、吃音という課題であると認識するようになりました。 
苦しさや不安も多かったのですが、その経験があったからこそ、今こうして言葉にして共有できているのだと思います。 

同じように吃音に悩んでいる方へ伝えたいのは、「一人で抱え込む必要はない」ということです。周囲に理解者がいるだけで気持ちは大きく変わりますし、早めに専門家へ相談するのも一つの方法です。 

私の体験が、少しでも励みや参考になれば嬉しいです。

吃音は世界人口の約1%が経験するといわれています(参考:日本吃音協会)。 
症状の現れ方やきっかけは人それぞれで、私の場合は高校時代に強く意識するようになりました。

【まとめ】

次回は、高校卒業後、本格的に吃音克服に向けて試行錯誤を始めた頃の話をしたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

※本記事は筆者の体験をもとにした内容です

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